宗教の齎すもの

 

更新が3か月も遅れてしまい、すいません!

 

この3か月間、母のことで少し疲れていました。

実は母親は、今年の一月から入院しています。

精神科です。

コロナのせいで入院している訳ではないのです。

そのころは、まだコロナが日本にそれほど脅威をもたらしてはいなかったのですが、

こんな時期になるまで入院するとは思わなかったので、今とても不安です。

もし、母がコロナウイルスに感染してしまったらとてもじゃないですが、今の母にはコロナにあまりにも耐性がなさすぎなので、死んでしまいます。

それほど、母は精神も体も衰弱しています。

 

なぜこんなことになってしまったのか・・・

 

僕が悪いと言えば悪いのかもしれません。

僕がもっと母を気遣っていれば、こんなことにはなっていなかったのかもしれません。

僕も病気だからと言って、何も出来ない訳ではないですが、

僕にも限界があります。

僕は、僕は・・・

 

逃げたいです。何もかもから逃げたいです!

 

でも、それでは今までこの世界を作り上げてきた偉人たちに申し訳ないです。

戦争ばかりしていた時代から、絶望と言える世界から、少しでも良くするために闘ってきた偉人に申し訳が立ちません。

 

僕は「闘争宣言」します!

 

何と闘うか。

 

「目に見えないもの」です!

 

コロナではありません(戦っても勝ち目はなさそうですねw)。

 

母をここまで陥れたもの。

それは宗教です。

 

実はウチは某宗教団体(実名は避けます)に入信しています。

 

僕が物心つく頃にはすでに僕自身親によって入信させられていました。

僕がこの宗教団体を嫌いになり始めたのは、19か20くらいの頃です。

何故嫌いになったかというと、信仰しても、脱却したい事態が解決するわけではないと悟ったからです。

勿論、信仰は自由です。法律でもちゃんと保障されています。

だからこそ、僕は「自由な生き方がしたい」と思い始めました。

信仰している人たちや、その信仰心を否定しているわけではありません。

個人の自由を尊重するべきだと、僕は訴えたいのです。

信仰する自由や、しない自由のことです。

なぜ、生まれた時から信仰を押し付けられなければいけないのでしょうか?

間違っていると僕は思います。

 

母は、いわゆるガチの信者です。母だけでなく、亡くなった父もでした。

 

父が亡くなった時、母は底知れぬ不安を抱えていたと思います。

なので、母はいっそう信心を深めようとしました。

その時はまだ良かったのです。

「ああ、そっか。この信心が母の救いになってるんだなぁ」と心の中では思っていました。

しかし父が死んでから、父や母と親しい同じ信者が、僕に関わってくるようになりました。

最初は会合に出ていましたが、そのうち、僕が書いた訳でもないわけのわからないお涙頂戴の原稿を、信者が集まるコミュニティで読まされ、勝手に称賛されていました。

とても嫌だったし、苦痛でしかありませんでした。

僕もそのころ、仕事もしながら宗教の活動もちゃんとしていました。

しかし母もいつしか別人になったように、僕に家庭でストレスのはけ口を当ててきました。

頭がおかしくなりそうでした。

僕が病気になったのは、母のせいだとは言いません。

宗教が人をおかしくさせるのです。

 

どれだけ信仰しても嫌なことはあるし、確かに母は元気にはなりましたが、僕の方がまいってしまいました。

どうして信心しているのに、こんなにつらいことがあるのか。

母は「それは、信心している人にしか訪れない苦難」だと解釈します。

では信心していない人たちはどうでしょうか?

信心していない人たちにも、同じような苦しみ(親が亡くなってしまう・家の経済が苦しい、など)が訪れることだってあるはずです。

そういう時、そういう人たちは、苦難に立ち向かえて打ち勝てることだってあります。

打ち勝てないこともあるかもしれませんが、それはこの宗教を信仰していないせいだ、と一概に、というか、まったくもって言える訳ではないはずです。

 

宗教は薬と一緒です。副作用があります。

薬を飲まないに越したことはないのです。

飲まないと生きていけないという方(持病があったり、ガンを患っていたり)は仕方ありませんが、薬を飲むか飲まないかの自由はあっていいはずです。

医者だって、「この特効薬を飲めば治るかもしれませんが、副作用があるかもしれないので、飲むか飲まないかは自由です」と言って、無理には飲ませようとしないはずです。

結局本人の自由のはずです。

 

 

長くなってしまいましたが、何が言いたいかというと、

宗教は本来人を幸せにするためのものなのに、不幸になってしまうということは、

決してあってはならないことだと僕は思います。

 

僕の他にも、同じように宗教の問題で悩んでいる方はいるのではないでしょうか?

 

一人で悩まず、誰かに打ち明けることが大切です。

こういう問題は決して一人の力で解決できるものではありません。

一人で悩んで力尽きてしまうより、いっそ他の人たちを巻き込んでしまいましょう。

「いい迷惑だ」と、ほかの人たちに思われてもいいのです。

悩んでいるのは事実なのですから、まずは悩んでいることをアピールしましょう。

 

僕もこの記事を書くことを迷いましたが、

まずは打ち明けることで、ものごとがうまく運ぶのではないかと思います。

 

 

僕と同じように悩んでいる方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントをください。

 

それでは、また。