言葉の持つ魅力と文字列について

みなさん、こんにちわ~  ゆきぴです。

 

みなさんこんな経験はありませんか?

わからない言葉を調べるとき、主に辞書を引いたり、ネットのwikiなどで調べますよね? 

すると、その意味の内容にもまたわからない言葉があったりしますよね?

そしてまた調べて、また調べてと、どんどんその繰り返しですよね?

まあ一発でその言葉の意味を理解できる人はすごいですが、難しい言葉はすぐには理解できないですよね。

 

実は最初から理解している人なんていない、ということはお分かりですか?

赤ちゃんだって、最初から「愛ってなぁに? どうして僕は産まれたの?」なんて言葉をしゃべれませんよね? そんな愛のミラクル、ちょっと気持ち悪いですよねw

当たり前なんですが、どうしてそれが当たり前なんでしょうか?

例えば、家に新品のコンピューターがあるとします。壊れています。作動しません。

どうして作動しないんでしょうか? 

それを考えたことはありますか?

たとえ不良品のパソコンを買わされたとしても、一流のプログラマーならすぐに作動させることができます!(物理的に壊れている場合は別ですが)

どうしてそんなことができるのでしょう?

簡単です。

パソコンに言葉を教えればいいのです。「プログラミング言語」というのがありますよね? プログラマーはそれを使って、パソコンに「起動しろ」と命じます。

勿論、起動させるためのいくつかの工程はありますが、主に言葉を教えればいいのです。

難しい計算をしたり、計算式を導き出す必要はないのです。

 

赤ちゃんに言葉を教えるにはどうしたらいいか。

親がひたすら赤ちゃんに向かって話しかけたりしますよね。

 

話しかけるということは、向こうも話すことができるから話しかけるのですよね?

「だぁだぁ」とか「ばぁぶぅ」とか発話はすることはできますね。

赤ちゃんの脳にもあらかじめ「話せる」ようにプログラムされているのです。

でなければ、愛の副産物という名のただのロボットです。

 

赤ちゃんが言葉の持つ魅力に気づくのは、「感情」が先か「言葉」が先か、

卵が先か鶏が先かの話になってしまい、さらには遺伝子プログラムの話にまでなってしまうので、このへんにしておきますが・・・

 

言葉の持つ魅力というのは、プログラム言語にはない独特のものです。

コンピューターに感情はありませんよね。もしかしたら将来、AIが発達して感情を持つこともあるのかもしれませんが・・・

 

脱線してしまいましたw

 

僕が前回、前々回書いてきた記事に出てくる言葉に「」でくくった言葉と、そうでない言葉で使い分けていることがわかるかと思いますが、

なぜそんなことをするのか。

簡潔に言いますと、「便宜を図るため」です。

コンピューターに言葉を教えるとき、人間もコンピューターも知っている共通の言語が必要になってきます。

日本人とアメリカ人の会話も、お互いが話せる言葉で会話しますよね。

日本語や英語など。フランス人ならフランス語、フランス人じゃなくてもフランス語が話せたり・・・

そうやって、まずはお互いが話せる言葉を探しますよね?

じゃないとコミュニケーションは取れませんね。

 

僕の場合、コミュニケーションの一つの方法として「」でくくった言葉を使用しています。

 

what  mean japanese "sushi"? というような英語を耳にしますよね?

「すし」ってどういう意味? という。

それと同じです。

言葉はただの「文字列」であり、意味ではありません。 

コンピューターに文字列を入力し、その文字列の中に意味を書き込みます。

そしてどんどん解かりやすくしていき、便宜を図るのです。

 

実は、僕はプログラミングの知識はほとんどありませんが、ゲーム開発ツールなどでゲーム制作をしていた時、ふと思ったのです。

ゲーム中に(あるいはゲーム制作中に)使用する言葉(文字列)というのは、やはりどこか無機質で人間味がないなぁ、と。

 

もっと人間味のあふれるゲームが作れればいいのになぁ、と思いました。

今は少し事情があり、ゲーム開発はできていないのですが、そのうちまた手をつけてみようかなぁと思います。

 

みなさんは「文字列」ではなく、ちゃんと「言葉」を使っていますか?

 

ぜひ「愛」のある「魅力」たっぷりの「言葉」を使って、「人」と「人」と「会話」してみてください!