「完璧主義」9

 

 

『竹林が雀荘へ行ったという証拠はないが、坂本なりに確証があるのかもしれない。

実は私も何となくそんな予感はしていたのだ。

「竹林はきっとお金に困ってたんだと思います」私は言った。彼が雀荘へ行った動機は何なのか、坂本の口から聞きたかった。だから適当に言ってみた。

「どうだろうなぁ」坂本は唸った。そして顎に手を当て、一考した。「男はなぁ、なにかくだらないことがきっかけで、くだらないことをしたくなるもんさ。俺は竹林を褒めてやりてぇ。だがなぁ、それと同じくらい竹林の奴を叱りたい気分だ。度胸があるのと命知らずなのは違うってことだ。動機は何であれ竹林は行動した。それは認めてやらないとな」

なるほど、と私は思った。

坂本は続けて、「あいつぁ、今どきの若いやつの中でもいい肝っ玉してると思うぜ。今どきの奴らは、ああでもぇこうでもねぇって口ばっか達者で動きやしねぇ。男は行動あるのみだ」と断言した。

男だからこうあるべきだ女はこうだ、というのは今の時代古臭い考えなのかもしれないが、私には逆に新鮮な教訓かもしれない。温故知新というやつだろうか。

坂本の言葉を聞き、私はなんだか自分がちっぽけな気分になった。所詮私も口先だけで生きている坂本の言う今どきの人間なのかもしれない。

「竹林が話せるようになったら言ってやれ。『お前、勇気あるな』って」坂本はしゃがれた低い声で言った。

今の言葉をそのまま竹林に言ってもうまく伝わるだろうか。竹林にとって私は所詮他人だし、なんの繋がりもない。

だが、ここではそもそもみんな他人だ。さらに言えば社会もそうやって他人の作ったコミュニティ同士で出来ている。

この一瞬一瞬で、誰かがギャンブルで大勝ちしたとか宝くじに当たったとかいう人もいれば、会社をクビになりさらには借金を抱え、どうしようもなく自殺を図ろうとする人だっている。

運が良かったとか、誰かが悪いだの環境のせいだとか、結局は不可抗力なのだ。

みんなそうやって生きているのだ。自分だけが不幸と思ってはいけない。このちっぽけな命にも可能性というものだってあるはずだ。

私は外の景色に目を向けた。窓からビジネスホテルの明かりや車のライトが見えた。その夜景は星空のようにも見えるが所詮は人工物。そう、社会とはそういうもの。星空のようにロマンチックで綺麗なものではないが、みんなが作った、作り上げたもの。私たちはその中で生きている。

「―の舞台のモデルになったと言われている台湾の観光名所はどこでしょう?」とテレビから聞こえ、坂本は大声で「キュウフンだ!」と言った。

私もその答えを知っていたが、坂本がそれを知っていたのは意外だった。

私はなんだか急にキュウフンへ行ってみたくなった。きっと夜は素晴らしい景色だろう。』

 

 

続きは次回更新にて!