だいじょばない

 

こんばんは。ゆきぴです。

 

数日前、母が自殺未遂をしました。

 

首を吊って自殺を図ろうとしたのです。

母を発見して手を触ったとき、手が冷たく、眼には全く生気が感じられませんでした。

あの冷たさや、母の表情は一生忘れられないと思います。

 

未遂で終わったのが、不幸中の幸いだったのかもしれませんが、

それでも、やりきれない思いはあります。

 

僕はその時、少し気が緩んでいました。

前日の夜から母と少し話はできていましたが、やはり「殺して、殺して」としか言ってくれません。

今まで毎日その繰り返しだったので、僕たちも限界でした。

 

退院する際は、病院から「もう大丈夫です」と言われたから退院させたのに、

何が大丈夫だったんでしょうか。

病院側も出来ることはしたのだと思いますが……

腹が立ちます。

病院にではありません。

母の精神基盤を作り上げた信仰にでもありません。

母の精神基盤を作り上げた、生まれ育った環境にでもありません。

もちろん、自分を責めたりもしました。

強いて何に腹が立っているかと言われたら、

母をここまで苦しめた「目に見えない何か」だと思います。

 

誰が悪いとか、自分が悪いとか、もうたくさんなんです。

気が狂いそうです。

 

今日母方の親戚と、母のことで話をしました。

母の実兄と実妹です。

話したいこと、というより、話さなければいけないことはたくさんありました。

しかし、僕の口からはあまり話せませんでした。

口下手、というせいもありますが、

今までの疲れもあったせいでした。

 

母方の親戚一同には心配をかけてしまっています。

「大丈夫かい?」と聞かれたら、僕はなんと答えるのが正解なのでしょうか。

正直に答えるのが正解か、気丈を装うのが正解か。

多分正解なんてないのでしょう。

 

 

 

誰のせいにしてもいいし、自分を責めたりもしていいと思います。

でも、結局負の連鎖でしかありません。

僕の憤りや、自分や誰かへの呵責は確かに自分の中で存在します。

それを消化しなければ前に進まないかもしれません。

 

小説や映画、フィクションの綺麗ごとが現実にも当てはめられたらそんな楽なことはありません。

「現実を見ろ」と自分に言い聞かせたり「逃げていいんじゃないか」と自分で自分を慰めたり、

なぜ人間はこうも一瞬一瞬の心情が多面的でいて多岐にわたるのでしょうか。

精神が発達したせいで「こころの病気」が付きまとい、人間は苦しんでいます。

自殺されてしまう人も増えています。

 

 

 

母の自殺を未然に防げて良かったです。

そうです。

それで良かったのです。

それで良かったことにしなければ何が悪かったのでしょうか。

 

 

今回のことで、また母は入院してしまいましたが、

きっと母は元気になって帰ってくると信じて待ちます。

その時、お互い成長して元気になった姿を見せたいです。

僕たちに出来ることはしたいと思っています。

 

 

だいじょばないけど……

だいじょうぶ。

 

では、また次回。