読書と「芸術」Ⅱ
ゆきぴです。
最近カラダが疲れていたので、行きつけのマッサージ(整体)に行ってきました。
3月の予約のはずが、突然キャンセルが入り、今日予約できるようになったのです。
ラッキー☆
足つぼもしてもらいました。昔は足つぼが痛く感じたのに、なぜか今は全然痛くないですw
体の健康は心の健康です。心の健康は体の健康です。
みなさんもカラダやココロを酷使せず、日々の疲れを癒してみるのはいかがですか?
さて、今日も読書の感想を書いていきたいと思います。
題材の小説は夏目漱石の「こころ」です。
「こころ」は「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の三部作で構成されています。
この小説は、近代小説の中では有名な作品としてみなさんに認知されているかと思いますが、実際に手に取って読まれている方は少ないのではないでしょうか。
僕がこの小説を初めて読んだのは、高校二年の現代文の授業でした。
ですが、教科書で取り上げているのは、「先生と遺書」の部分だけです。
当時、僕は「遺書」だの「自殺」だのという言葉に実感はなかったのですが、その年に伯父を亡くしていて、「死」というものには少なからず「何か」を感じ取っていました。
死には受動的な死と能動的な死があります。
受動的な死は自分の寿命を受け入れて死ぬこと。
能動的な死は「死」を受け入れて自ら死ぬこと。つまり自殺のこと。
「死」とは何かというものを考えたとき、「死ぬ」ということの「対価」が必ずあるのではないかと思います。
寿命や病気で死ぬならそれが対価。
僕にはどうしても、「先生にとっての死の対価」というものなんてないように感じます。
ですが先生にとっての死の対価は「罰」だったのです。
当時、恋愛においての三角関係は御法度だったのかもしれません。
人は信仰に近い愛を相手に抱くほど「ココロ」は「病気」になってしまうのだと思います。これほど重い恋愛があるでしょうか。
みなさんはそんな恋愛をしたことがありますか。
正直「重いよ」と感じる方もいるかもしれません。
ですが、恋愛とは本来そうあるべきなのかもしれません。
僕はそういう意味での「本当の恋愛」を経験したことがありません。
女の子に振り回されたり、お金がどうのとか、きっと相手も自分も良い経験ではなかったと思います。
そういうと、今まで付き合ってきた人たちに失礼かもしれませんが、だったら最初から恋愛なんてしなければいい。傷ついたり傷つけあうならしなければいい。そう思いました。
「死」に至る「恋」なら是非してみたい。
そんな恋がしてみたい。それが僕の感想です。
みなさんわかる方はわかるかと思いますが、そんな恋など滅多にないものですw